環境権

今日の東京新聞の投書欄に「環境権を憲法に書こう」と言うのが出ていた。文面からは日本国憲法を尊重している方のようだったが、2つの意味でダメでしょう。

 1.環境権は25条の「健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」から導き出せ、憲法に個別、具体的な権利を列挙すべきでない。
 2.憲法を改正して9条を亡き物にし、戦争をしたい勢力に乗せられてはいけない。

1.については例えば日照権憲法日照権なんて書いてないが、現在一般的に認められている。環境権は憲法13条の幸福追求権を根拠とする学説が定着しているらしいが、健康で文化的な生活の方が自分の適合している気がする(特に文化的な生活)。もし具体的な権利を憲法に書き加えると、文化が発展し新たな概念が発生した時に「憲法に書いてないから保証する必要はない」と否定されてしまう。健康で文化的な生活は文化の発展とともに拡張していくものだと思うから、具体的な権利を列挙することで枠を嵌めるべきではないと思う。ただ、現在の裁判官は反動的な人が多く、なかなか憲法判断を行わず、古臭い価値観から抜け出せない弊害はあると思うが。
2.は環境権を憲法に加える必要があると言い出した人たちが憲法9条改正を悲願としている勢力と政治的に近いと想われるからだ。9条改正を前面に出すと反発が大きいために、殊更日本国憲法の不備を挙げる口実にしている印象を強く持っている。

現在の日本国憲法は非常に良く出来ていて、今現在、何かを変える必要を感じない(変えるとしたら1〜8条を無くすくらい)。憲法を変える前に、憲法の理念を実現する社会を目指すべきだ。