帰省中の進展

電話で姪と話したのは昼休み前だったので、昼食の後に会社に事情を説明した。ただその時は自分がドナーになれるのか、なれるとしても手術がいつ頃になるのかも判らないため、仕事に支障が出ないようにドナー検査や手術日を検討することで了解してもらった。ここで入院期間や休職期間がどの程度になるか聞かれたが正直に言うと調整が難しくなりそうな気がしたので、入院1ヶ月、休職が1ヶ月半くらいじゃないかと大分短めに言っておいた。インターネットで調べていた限りではドナーは術後2〜3ヶ月で社会復帰となっていた。

8月8日に帰省し、11日に病院へ行った。8月24日に手術の予定だったが、姪がNGとなったため、手術の予定はキャンセルになっていた。
病院では現在の状況や今後の見通しを聞いたが、自分がドナー候補になるような話は出てこなかった。姉の状況は相当悪く復水が溜まり肌は枯れ木のようでツヤがなくなっていた。どのくらい生きられるのかと聞いても、状況次第で1年かもしれないし数ヶ月かもしれない、との事だった。姪の癌は超初期なので手術した後に提供ではダメなのか食い下がっていたが、絶対にダメと言われていた。姪は呼吸器外科の先生は大丈夫と言ってるのに、移植外科がOKしないと若干不満そうだった。11日は現状の説明で終わり、自分がドナー候補として検査を受けるような話には進まず、少し拍子抜けだった。

その後も帰省中に姉からドナーの話が出て来なかった。お盆の休みも終わってしまうのにどうするんだろうと不安になっていたら、ふと自分が貰う側だったらと考えた。申し訳なくて言い出せないと思い、自分の方から切り出さないと話が始まらないとやっと気づいた。姉は姪がNGとなった時点で半分諦めていたそうだ。また、自分がドナーになる場合手術に戻ってくるため、両親に説明が必要だが、両親に説明出来ないとも言っていた。姪から貰う場合は同居してるわけではないので特に詳しい説明はしていなくて、肝ーになる剣を臓の手術をする、とだけ説明していたようだ。両親への説明も自分がすると言ってやった。しかし、なかなか切り出せなかった。たしか8月14日の土曜日だったと思うが河野洋平さんが朝のTVに出ていた。なかなか元気そうだったのでここで言うのが良いと思い、姉の状態と生体肝移植が必要なこと、今は成功率が上がっていて、河野洋平さんもそれで元気になっていることなどを説明した。姉がそんなに重症だということ、健康な自分から肝臓を切り取って不健康になるのではないかとの心配とで相当なショックを受けたようだった。TVで河野洋平さんの元気な姿が写ってくれていなかったら、もっともっと不安を感じていたに違いない。

家族内の調整がついたので、8月16日上京する日に姉の方から病院の先生に自分がドナーになることを伝えてもらった。すると、本人からの直接の意思確認の必要性もあるため、自分の方から先生に連絡を入れてくれるように依頼されたと姉から電話が入った。姉から連絡先を聞き、ドナーになる事を先生に伝え、9月の初旬にドナー検査を受ける事になった。
詳細な日にちは仕事の都合があるため、会社に戻ってからまた連絡することにした。姉の状態もあり、なるべく早くするため9月3日か6日のどちらかにすることにした。